角正
- よみ
- かくしょう
- 市指定年月日
- 平成15年9月17日
- 所有者
- 角竹邦雄
- 所在地
- 高山市馬場町2丁目98番地
- 時代
- 江戸時代(19世紀)から
- 員数
-
4棟、土蔵2棟、庭1箇所
解説
角正は高山屈指の老舗料亭で、その格式のある構え、落ち着いた雰囲気の庭、庭に面した二つの離れなど、その精進料理の料亭に相応しい風情のあるたたずまいが多くの市民の好むところとなっている。
主屋の建物は高山の伝統的町家とは異なり、屋根の勾配は急で、妻面を正面とする妻入りの様式となっている。高山の町家は伝統的に前面に空地を設けないのに対し、 玄関は奥まっており、ゆとりのある露地の右手には大きな庭木戸を設けている。庭木戸の向こうには前庭から奥庭まで東西に一体になった広い庭が開け、深い木立の奥に離れの茶室や小座敷がある。庭に面する主座敷は格式ある床を持つ書院造りとなっており、欄間に取り付けられた彫刻も技巧を尽くした洗練された意匠となっている。庭に面して縁側を巡らし、軒先には庇を張り出している。座敷から庭をよく眺められるよう庇の先には間柱を少なくし、庭の景観を意識した手の込んだ造りとなっている。
当家は文政期の郡代役所出入医円山東巒の住居であったが、後に角竹家で購入し、料亭にしたとされる。当時の町医者は武家待遇であり、玄関正面及び右脇には武家の格式を示す式台が設けられているなど、高山では稀な武家邸宅の様式となっている。
角竹家は初代幸右衛門以来の料理を生業とする家系であり、数代にわたり江戸の八百善亭について料理法を学んだ。第23代増田郡代の高山への赴任、転任時には、当家が朝・昼・夕飯の献立を担当し、その献立表が現存している。料亭としての角正は以後も多くの文人墨客、高山市民に愛され、利用されてきた。
当建物は天保年間に建築された状況をよく残しながら、現在でも料亭として営業を続けている貴重な事例である。建築様式は上質な武家邸宅としての様式を多分に残しながら、庭を中心として美しい景観を保つ、高山市にとっての重要な価値を持つ文化財ととらえられる。
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