法華寺本堂
- よみ
- ほっけじほんどう
- 県指定年月日
- 昭和45年8月11日
- 所有者
- 法華寺
- 所在地
- 高山市天性寺町62番地
- 時代
- 江戸時代(17世紀)
- 員数
- 1棟
- 法量など
-
本堂は桁行20.22メートル、梁間1.5メートル、単層入母屋造、銅平板葺
日本遺産構成文化財
解説
寛永9年(1632)、九州の地から配流され、翌年この地でさびしく亡くなった加藤肥後守清正の嫡孫光正の霊を哀れんだ3代金森重頼が、高山城内の建物を移してこの本堂にしたという。宝暦年間の平面図が残されている。昭和45年から47年には自火報設備、本堂の半解体修理を行なった。さらに、平成5年には須弥壇と内陣の天井、蟇股や欄間彫刻の全面修理を行なっている。その際、須弥壇脇の6枚の彫刻と、内陣手前の厚鴨居上端に裏書が確認された。彫刻の方には工匠松田太右衛門、塗師は藤田宇兵衛、宝暦12年(1762)7月16日、須弥壇を再興したことが記されている。また厚鴨居の方には、宝暦12年修復とある。須弥壇上の箱段裏板には「宝暦五年(1755)十一月本壽院日量代 大工谷口小兵衛」と裏書がある。
建物内部は、正面からゆったりとした広縁があり、腰唐戸の障子がやわらかい感じを与える。内陣は改造されて、法華宗の寺院様になっているが、内陣正面に見られる蟇股や、欄間の花鳥彩色彫刻から桃山時代の様式を伺い知ることができる。内陣を除いて柱はすべて角柱面取がしてある。
建物外観は、間口が8間もあって重量感にあふれ、寺院様の装飾は何一つ見あたらない。木割が一般的に太く、間隔の粗い、軒廻りの太い垂木が木舞化粧裏や屋根を軽やかに支えている。両妻飾がなく、木連格子組となっているので、いっそう書院造りの風格を強調しているようである。
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