旧道上家

ページ番号 T1000867  更新日  令和3年12月17日

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よみ
きゅうみちがみけ
県指定年月日
昭和50年7月17日
所有者
高山市
所在地

高山市上岡本町1丁目590番地 飛騨民俗村

旧所在地は飛騨市宮川町東加賀沢

時代
江戸時代末期
員数
1棟
法量など
主屋は桁行17.7メートル、梁間9.4メートル、入母屋造、茅葺、北・南面下屋附属板葺

解説

 この家は、飛騨と越中の国境にあって、宮川の渓谷と越中西街道を隔てて富山県富山市細入の西加賀沢集落と相対している。
 全国的にみて、第一次の養蚕隆盛時は享保年間(1716年から1736年)といわれるが、この地方に大型の養蚕家屋が現れたのも丁度その頃であった。道上家の建築年代は、それよりもまだ下るものと思われる。(川島宙次「北飛騨の合掌造り加賀沢の家」『新住宅通巻第240号』昭和42年より)
 内部は、平入りで3室広間型を基本としている。ドジに入ると右にマヤ、奥にニワがある。ニワは屋内作業の場で、板敷床になっている。オエは3間×4間半と広く、天井は簀子、イロリはニワ側に位置する。オエの横には仏壇のあるデイ、エンのあるオクデイがある。マヤ側には1間の下屋を張りだし、後ろ3間をミンジャ、前1間半をベンジャとしている。
 中2階へはニワのオエ側から昇り、オエを除き全室に根太天井を張って中2階を設ける。中2階は養蚕と一部が居室になるが、人が頭を低くして歩ける程の高さである。屋根裏のアマは中2階よりはやや高い。曲り廊下を付けることにより、広い面積が確保できている。中2階でオエの吹抜部にあたるところは、前後に廊下程度の板敷を残して吹抜になるが、普段は後ろ半分に簀子板を架け渡し、養蚕期は、前にも板を敷いて更に広い蚕室としたのである。ケヤキ材の豊富なこともあり、太い柱、梁、桁は、幕府の御止木にもかかわらずケヤキを使用している。
 内部構造は土地柄、越中の民家と共通性が強く、また外観は、茅葺の妻側を大きく切り取り兜造としている。兜造は中2階を明るくする民家形式で、山梨や関東など養蚕の盛んな地方に多く見られる。左右両側には、板葺の下屋を設け、左は懸崖造となっている。棟は笄棟造で、入母屋の破風口は茅束を綴じつらねたヒダチサクミとし、明り窓に筵を吊している。棟は長く伸びて破風にかぶさり、北飛騨の入母屋造りの特徴をもった建物である。
 昭和45年10月から翌年3月にかけて、民俗村へ移築された。また、昭和59年10月から翌年3月にかけて、建物全体のゆがみを修復するため、解体修理工事を行った。

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