吉島家住宅

ページ番号 T1000852  更新日  令和3年12月17日

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よみ
よしじまけじゅうたく
国指定年月日
昭和41年12月5日
所有者

吉島家

所在地

高山市大新町1丁目51番地

時代
主屋、倉は明治40年(1907)
員数
2棟
法量など

主屋は桁行16.7メートル、梁間13.6メートル、北面突出部桁行5.4メートル、梁間7.3メートル、一部2階、切妻造段
違、桟瓦葺、六畳、縁側及び便所附属〈附〉犬垣一カ所
文庫倉は桁行3.8メートル、梁間7.4メートル、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺、東面一室附属、鉄板葺
附 火垣1棟、延長21.7メートル、桟瓦葺
板塀1カ所、折曲り延長11.1メートル

日本遺産構成文化財

解説

 吉島家の初代は文政6年(1823)に没した休兵衛で、代々生糸、繭の売買、金融、酒造業を営んだ。吉島家の日記によると明治8年(1875)高山の大火後、翌9年に再建した。しかし明治38年(1905)再び類焼し、本宅表側の店二間通りだけが焼け残ったとある。四代吉島斐之は明治40年再建を行った。大工は主屋を川原町西田伊三郎が、座敷を吉城郡上宝村の内山新造が建てた。
 主屋は2階建であるが全体のたちは低く、下手の落棟部は中2階である。1階前面には様々な格子が幅広く付き、優れた意匠をもつ。2階壁面は低く連子窓を連続させるが、入口大戸の上は化粧貫2本を横に通した土壁となる。向って左側の落棟は中2階に与力窓を設ける。
 隣つづきの日下部家と異なるところは、軒下にせいがい天井がなく、前側2階の柱間が広いこと、北側出格子が入口一間手前で入格子になって葬式の際に出棺する場所が設けられていること、全体的に地味な印象を与えることなどである。
 棟まで1本で通した大黒柱は太く美しい。大黒柱に組み込まれた吹抜部分の梁組は、丁寧に鉋で仕上げられ、漆を塗られている。天窓から差し込む幾筋かの光が、斜めにこの吹抜けを通る構成はすばらしいものがある。庭は、前側にナカニワ、裏側にウラニワがある。それぞれ茶室、仏間、本座敷、次の間から眺められる間取をもつ。

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