国分寺本堂
- よみ
- こくぶんじほんどう
- 国指定年月日
- 明治42年4月5日
- 所有者
- 国分寺
- 所在地
- 高山市総和町1丁目83番地
- 時代
- 室町時代建築、天正期に修理
- 員数
- 1棟
- 法量など
-
桁行5間(12.4メートル)、梁間4間(8.66メートル)、向拝1間(3.33メートル)、四方廻縁、銅板葺
日本遺産構成文化財
解説
奈良時代には、七重塔や金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる。『日本逸史』に「弘仁十年(819)八月飛騨国分寺災」とあるが、その後近世まで記録がない。昭和29年の本堂解体修理により、建築様式と手法は室町中期以前、正面向拝と東側は桃山時代の修理であることがわかった。向拝などは金森氏が国分寺の再興を援助した際の大修理と考えられる。地下45センチメートルには、南北4間、東西7間の金堂と推定される建物の礎石が確認された。
建物の柱、垂木、構造材は太い。外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式を示す。
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