宗猷寺鐘堂
- よみ
- そうゆうじしょうどう
- 市指定年月日
- 昭和57年6月8日
- 所有者
- 宗猷寺
- 所在地
- 高山市宗猷寺町218番地
- 時代
- 享保年間(1716年から1736年)
- 員数
- 1棟
- 法量など
- 鐘楼は柱間4メートル四方、銅板葺、木造入母屋造り、四方転び柱、二軒、繁垂木
解説
禅宗様式を取り入れたこの鐘堂は、享保年間に飛騨郡代の長谷川庄五郎忠崇の助力で築いたと伝えられる。りっぱな石垣の上に建ち、市内でも有数の規模である。
四隅の柱頭にある出組の斗栱のほかに中備えといわれる組物があり、いわゆる「禅宗様詰組」の斗栱になる。
宗猷寺第九世桃瑞禅郁の時代に長谷川代官の知遇を受けて延享2年(1745)4月に梵鐘を鋳たことが鐘銘にあった。(『斐山語草』より)また、『紙魚のやとり』には「延享二年四月五日宗猷寺鐘鋳、大阪鋳物師」とある。しかし、太平洋戦争中の昭和17年、金属類の不足に伴ない寺院の鐘や仏具が供出されることになり、この梵鐘も別院へ集められ失われてしまった。昭和37年になり、ようやく新しい梵鐘を備えた。
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