宮地家住宅
- よみ
- みやぢけじゅうたく
- 市指定年月日
- 平成12年5月22日
- 所有者
- 高山市
- 所在地
- 高山市大新町2丁目44番地
- 時代
- 19世紀後半
- 員数
- 2棟及び敷地
- 法量など
- 主屋は間口3間半(6.14メートル)、奥行6間(10.96メートル)、下屋附属
土蔵は間口2間半(5.02メートル)、奥行3間(5.31メートル)、木造倉庫付属
中庭を含めた敷地全体
解説
大新町の商家群は、明治8年の大火で多くの町家が焼けているため、それ以後の建築が多いが、土蔵は江戸時代後半くらいのものが多い。農業と商業などの兼業から、裏側の蔵脇土間付近を納屋に改造している場合が見受けられる。江戸時代の住民の職業構成はよくわからないが、明治以降は、米屋や酒屋、春慶塗師、石屋などの職業が聞き取りによってわかる。また特徴的なのは、松本町、大新町などに水田を所有した兼業農家が多く存在していた。
宮地家は屋号を宮地屋といい、かつては酒屋や米屋を営み、養蚕もしていた。主屋は明治8年の大火後に建てられたもので、旧丹生川村三之瀬吉本家の山より材を調達したという。敷地は間口3間半のごく標準的な商家で奥行は12間程度あり、主屋、中庭、土蔵と並ぶ。土蔵より裏は空き地になっているが、土蔵裏の車庫のあたりから河川敷部分となり、一段低くなっていたという。明治9年の字絵図によると畑地が川端にあり、宮川の河川敷が今よりも広かったことがわかる。大新町の伝統的建造物群保存地区は、越中街道沿いに開けた商人町であり、宮地家は残存する建物の中でも改造を加えていない貴重な町家といえる。
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