松本家住宅

ページ番号 T1000854  更新日  令和3年12月17日

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よみ
まつもとけじゅうたく
国指定年月日
昭和46年12月28日
所有者
高山市
所在地
高山市上川原町125番地
時代
主屋、米蔵は江戸時代後期、漬物蔵は文政9年(1826)
員数
3棟
法量など

主屋は桁行10.8メートル、梁間14.5メートル、2階建、切妻造、鉄板葺。
米蔵は桁行7.9メートル、梁間5.8メートル、土蔵造2階建、切妻造、南面庇付、鉄板葺。
漬物蔵は桁造5.2メートル、梁間4.2メートル、土蔵造2階建、切妻造、東面庇付、南側蔵脇土間附属、鉄板葺。
附 主屋漬物蔵間通り土間1棟 桁行9.5メートル、梁間2.8メートル、両下造、南面に流し場付属、鉄板葺。

解説

 明治8年(1875)、二之町から出火した火災は三町、寺内町、八幡町、鉄砲町などに延焼し1032戸を焼失した。桜山八幡宮、別院など寺院や多くの町家が類焼したが、松本家住宅は火災をまぬがれた。市内の町家の中では最も古く、改造があまりされていない貴重な建物である。
 漬物蔵の化粧裏板に「文政九戌年(1826)五月十八日屋根棟上」、窓框に「文政九年戌四月廿七日出来」の墨書がみられることから、主屋の建設年代もその頃と推定される。米蔵の化粧裏板には「嘉永元申年(1847)四月日 大工八賀屋平吉清助」とあり、建設年代かあるいは屋根修理時の墨書である。
 松本家は現在の高山市松本町の出身で、弘化年間(1844年から1848年)に高山町に分家し、以来蝋燭、煉油商を営んだ。松本吉助の代になると、明治30年代は煙草製造卸、同40年代には金貸業も営み、明治45年に薬種商原屋三衛門、屋号「原三」の家を譲り受けたという。この家が松本家住宅である。それまで住んでいた上一之町から上川原町へ移ってからは、この建物を居住用に使用し、原三時代の主屋、土蔵、薬行商人宿泊所などを、大改造せずそのまま残したのである。原三は、文化年間(1804年から1818年)には益田街道沿いであるこの上川原町で商いをしており、松本吉助に売却後は安川通りで原三薬店を開いた。
 この住宅は主屋のほか、裏の中庭に面して米蔵、漬物蔵が連なる。主屋の通りドジを裏へ進むと漬物蔵の庇、米蔵の庇とコの字状に庭を囲んでいる。近世末期の高山の標準的町屋の屋敷構えが完在している。
 主屋は切妻造2階建で、正面にはのれんかけを下げるむくり屋根の小庇や2階の連子窓、1階の出格子などがみられ、高山の町家の典型的な外観を示す。玄関大戸は無双窓の形式になっていて、中桟を動かすと縦の格子戸になる。夕方は大戸を閉めて小さい潜戸から出入りする。
 大戸からミセの脇のドジ(土間)を抜けると、中はオエからダイドコロへ続く広い空間になる。梁から小屋組まで吹抜けを見せた空間が意匠的に扱われている。奥の部屋は表側にオクミセ、続いてカズキ、ブツマ、ザシキと4室並ぶ配置で、前後の部屋に1間の喰違いを生じさせている。2階には広い座敷や、奥に茶室が設けられている。
 南隣りの家屋は浅野氏の居宅であったが、平成元年に市が購入した。もともと原三の商家であり、内部調査の結果、主屋よりも古い建物であることが判明し、保存修理をして使用している。
 米蔵には松本家の商売用具、生活用品、装飾品などを展示し、漬物蔵には漬物桶や台所用具を展示している。松本家から寄贈された文化財指定建物は、高山の標準的な商家としてのその価値は高く、また土蔵内一括資料、民具も明治から昭和にかけての生活を知る上で貴重である。

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