霊泉寺愛染堂

ページ番号 T1000892  更新日  令和3年12月18日

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霊泉寺愛染堂の写真

よみ
れいせんじあいぜんどう
市指定年月日
平成2年3月5日
所有者
霊泉寺
所在地
高山市千島町616番地
時代
江戸時代(17世紀)
員数
1棟
法量など
社殿は桁行4.5メートル、梁行3.6メートル、木造方形造、亜鉛鍍鉄板葺、三方濡縁付

解説

 『飛州伝』によると、寺の後方に泉があって桶で境内に持ち込んでおり、その水が濁ること枯れることがないといい、霊泉の名称はそこからでているのであろう。昔、神祠が山上にあったのを三木自綱が再興したが、三木氏没落後廃絶してしまった。その後、一如素心尼という尼僧がこの山中で入定した。天保元年(1644)5月25日入定と書かれた墓碑が裏山にあり、裏に大正4年6月法華寺廿四世徒弟長瀬要信之を建てるとある。
 延宝5年(1677)には、金森将監、金森兵庫ら金森家の家臣14人が発願して山上に神祠を建て(『飛騨国中案内』第3巻より)、愛染明王の像を安置した。また、中腹に寺を建て、集雲山霊泉寺と称している。
 霊泉寺は現在真言宗泉涌寺派で、千島町や西之一色町をはじめ、高山の市街地を一望できる大変見晴らしのよい場所にある。昭和26年1月、火災により境内の本堂及び庫裡が焼失したが、愛染堂と諸仏は難をまぬがれている。
 棟札が発見されていないため建築年は不明だが、随所に江戸前期の建築様式が見られる。金森時代初期にあたる延宝5年、村人により霊泉寺は復興されているが、この建物の建築年代はそれに近いと考えられる。
 外観は、方形造に向拝がつく。柱の面取りは十面取りに近く、太い。土台に根継補修痕跡がみられないが、材は相当の古さを感じさせる。斗組は、簡素な出三つ斗である。
 内部は、内陣境に虹梁があり、絵様をみると渦と若葉が離れていて、古い様相を示す。天井は格天井で、近代以降に水彩画が描かれている。作者は、高山出身の藤井友嶙と河内豊嶙、大垣出身の清水麓松で、いずれも明治時代から大正時代にかけて活躍した絵師である。

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