旧田中家住宅

ページ番号 T1000853  更新日  令和3年12月17日

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よみ
きゅうたなかけじゅうたく
国指定年月日
昭和46年12月28日
所有者
高山市
所在地

高山市上岡本町1丁目590番地 飛騨民俗村

旧所在地は冬頭町982番地

時代
江戸時代中期
員数
1棟
法量など
主屋は桁行12.1メートル、梁間10.9メートル、切妻造、東面1間庇付、板葺

解説

 この建物は、もと高山市街地北部の中切町にあったものを二之町で薬種商を営む田中屋の4代目田中大秀が買い、冬頭村の田舎として文化年間(1804年から1818年)に移築、庶子である手代茂七郎に与えたという。一部移築を受けているが、内部は昭和の初めまで建設当初のままで土座形式であった。飛騨の石置板葺の民家の中で18世紀前半まで遡る代表的な建物の1つである。
 平面は本来土座のオエの上手に板の間のデイ、ブツマ、裏手に板の間のネマと土間のニワ、下手にマヤを配したもので、さらに下手外側に下屋が付加されている。この平面形式は、飛騨地方でも高山周辺から西は荘川、白川までの地域で見られる。ただし屋根が板葺になるのは高山周辺だけである。国府町でも1部この平面形式が見られるが、飛騨地方南部の下呂市はこれと異なる。
 後世の改造時期については明らかではないが、まずネマ回りの改変があり、ついでマヤ回りや正面出入口及びオエ南側が改造され、さらに昭和になってからオエの土座やニワの土間に床板が敷かれ、東側の下屋も撤去された。
 昭和46年9月、旧所有者田中秀茂氏が高山市に寄贈し、翌年12月「飛騨民俗村飛騨の里」に移築するため解体工事に着手、昭和48年12月に全ての修理を完了した。
 建物の外観は素朴な板葺石置屋根で、勾配が緩く棟高が低くて荷重が軽いため、雪国にしては梁が細く数も少ない。入口を入るとL字形のドウジ、マヤがある。奥にはそれぞれ炉をもつオエとニワが広い土座を形成し、オエには深さ60センチメートル程のムロが造られる。デイ、ブツマは板敷となり、東西2室のネマは板壁で囲まれて窓もなく、閉鎖性を持っている。各室とも天井を張らず、屋根裏がむき出しになり、柱は土間回りに栗、部屋に赤松が使われ、土間と外回りは杣ハツリ、部屋回りは丸刃釿が多い。鴨居は溝を掘らず、付樋端(付け溝)にしてある。小規模な家だが高山を代表する古い農家である。

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