旧野首家住宅

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ページ番号 T1000858  更新日  令和3年12月17日

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よみ
きゅうのくびけじゅうたく
県指定年月日
昭和37年2月12日
所有者
高山市
所在地

高山市上岡本町1丁目590番地 飛騨民俗村

旧所在地は片野町林

時代
元禄以前
員数
1棟
法量など
主屋は桁行15.2メートル、梁間10.8メートル、切妻造、両面下屋附属、長榑葺石置屋根

解説

 この建物は、元禄8年(1695)の検地帳や当時の絵図に記載されている家と、建物面積、位置が一致していた。元禄検地以前の建物と推定される。元禄検地水帳に「しものくび 間口八間半 奥行六間 屋舗云々 八兵衛」と記載され、19代目の野首秋蔵も、通称「片野の八兵衛」と呼ばれた。昭和37年、野首氏から本建物の寄附を受け、3月に現在地へ解体材を集積した。同時に、解体調査を行い、昭和40年10月から翌年2月までかかって復元修理を実施したのである。その際オエやニワの床板を撤去し、裏側の縁側なども取り除いて旧形態に復元をした。
 建物内部は、土座生活のオエが中心に位置し、右側にデイ、オク、ナカオク、ダイドコとカギ形に並ぶ。左側にはマヤ、ニワが配置されている。土台はなく、垂木は藤蔓で縛り、壁は板張りで窓は少ない。構造材も化粧材もほとんどアカマツが主で、一部クリを用いて飛騨の農家らしい建築部材となっている。柱の加工は片刃の釿ハツリである。梁や桁の加工跡は江戸中期後に発達したと思われるハビロハツリではなく、飛騨型のマンキチ斧でハツリ、その加工をのこしている。板類の加工は大鋸引きのあと1枚鉋削りで仕上げてあるので、大きな逆目を残している。
 建物の外観は、飛騨の中央部に発達した槫葺石置屋根葺き下し付である。小屋梁が母屋桁と併行した架構法は、軒の高さを制限されたり、低い建物を建てる場合に採用される架構法で、構造上直交した梁より弱いはずだが、止むを得ない架構法で、この地方でも古い建物に多く見られる。旧田中家住宅と共に、飛騨では最も古い民家の1つである。

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