山岡鉄舟父母の墓

ページ番号 T1000971  更新日  令和3年12月21日

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よみ
やまおかてっしゅうふぼのはか
市指定年月日
昭和30年8月25日
所有者
宗猷寺
所在地
高山市宗猷寺町218番地
時代
江戸時代(19世紀)
員数
2基ほか
法量など

父の墓は棹石の高さ110.3センチメートル、厚さ43.6センチメートル、幅43.5センチメートル、台石は3重で高さ91.8センチメートル
母の墓は棹石の高さ100センチメートル、厚さ30.3センチメートル、幅36.6センチメートル、台石は3重で高さ77.3センチメートル

解説

 宗猷寺本堂前に2基並んでいる。父の墓は棹石正面に「徳照院殿雄道堅達大居士」とあり、周囲に石柵をめぐらし、柵前に元締斎藤弘道、進野保寿、岩田幸通奉納の石燈籠一対がある。母の墓は棹石正面に「喬松院雪操貞顕大姉」とあり、周囲に石柵をめぐらし、柵前に小野高堅、塚原直昌、加藤師父造立の石燈籠一対、燈籠前に喬松院菩提のために設けた六道石がある。
 鉄舟の父小野高福は通称朝右衛門といい、幕府旗本の士で禄600石を受けた。弘化2年(1845)、江戸御蔵奉行から飛騨郡代に転じた。外国船渡来の形勢にかんがみ、城山で狼煙の実演をしたり、上野平で陣立を行なったりした。嘉永5年(1852)2月28日高山で没、享年78。
 鉄舟の母磯女は鹿島神宮の神官塚原石見の娘で、天保6年(1835)朝右衛門に嫁し、六男を生んだ。嘉永4年(1851)9月25日高山で没、享年41。
 碑面の法号は、2基とも鉄舟の筆跡である。

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