幸田善太夫墓
- よみ
- こうだぜんだゆうはか
- 市指定年月日
- 昭和43年3月9日
- 所有者
- 東照宮
- 所在地
- 高山市西之一色町3丁目986番地 東照宮 社務所裏
- 時代
- 江戸時代(18世紀)
- 員数
- 1基ほか
- 法量など
-
墓(1基)棹石高さ78.3センチメートル、幅39.2センチメートル、台石高さ35センチメートル
解説
墓は、松泰寺境内にあり、棹(さお)石正面に「真良院幸田善太夫藤原高成墓」と刻んである。墓地より1段低く、天明5年(1785年)4月次子従五位下摂津守源保明奉献の石燈籠1対がある。
幸田善太夫は名高成、延享2年(1745年)7月飛騨代官を命ぜられて着任し、寛延3年(1750年)6月6日高山で病没した。治政5か年、植樹を奨励し、馬鈴薯の種子を輸入するなど、遠謀の施策に心を労した。そのため飛騨では馬鈴薯のことを「せんだいも」「ぜんだいも」と呼ぶようになった。
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