森宗弘墓

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ページ番号 T1000973  更新日  令和3年12月21日

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よみ
もりむねひろはか
市指定年月日
昭和30年8月25日
所有者
森家
所在地
高山市若達町1丁目89番地 雲龍寺裏の墓地
時代
江戸時代(19世紀)
員数
1基
法量など

墓は、標石の高さ53センチメートル、幅正面28センチメートル、側面18センチメートル、台石は2重で高さ33センチメートル

解説

 雲龍寺裏山墓地の中腹部に東西6.7メートル、南北4.2メートルの土地を区画し、東北隅に8段の石段を設けた墓域がある。墓域内には大阪屋佐兵衛家の墓が10基建てられているが、正面に「釈道弘処士 釈貞順禅尼」とあるのが宗弘夫妻の墓である。
 宗弘は、高山ニ之町森家10代七左衛門宗永の3男邦治の長男に生まれ、分家である大阪屋佐兵衛、通称大佐の3代目を継いだ。家業の製糸業と酒造業に精励する傍ら、『諸国地震変異録』、『ドナチ彗星出現見取図』などの貴重な科学的記録を残した。安政6年(1859)3月10日京都で没、享年49。

森宗弘の残した地震記録
地震発生年月日 場所
安政二年二月一日 白川郷地震記事
安政五年二月二十六日 角川地震記事
安政五年二月二十六日 立山支脈鳶山崩壊絵図
安政五年二月二十六日 飛越国境付近山崩見届図

 

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