森宗弘墓
- よみ
- もりむねひろはか
- 市指定年月日
- 昭和30年8月25日
- 所有者
- 森家
- 所在地
- 高山市若達町1丁目89番地 雲龍寺裏の墓地
- 時代
- 江戸時代(19世紀)
- 員数
- 1基
- 法量など
-
墓は、標石の高さ53センチメートル、幅正面28センチメートル、側面18センチメートル、台石は2重で高さ33センチメートル
解説
雲龍寺裏山墓地の中腹部に東西6.7メートル、南北4.2メートルの土地を区画し、東北隅に8段の石段を設けた墓域がある。墓域内には大阪屋佐兵衛家の墓が10基建てられているが、正面に「釈道弘処士 釈貞順禅尼」とあるのが宗弘夫妻の墓である。
宗弘は、高山ニ之町森家10代七左衛門宗永の3男邦治の長男に生まれ、分家である大阪屋佐兵衛、通称大佐の3代目を継いだ。家業の製糸業と酒造業に精励する傍ら、『諸国地震変異録』、『ドナチ彗星出現見取図』などの貴重な科学的記録を残した。安政6年(1859)3月10日京都で没、享年49。
地震発生年月日 | 場所 |
---|---|
安政二年二月一日 | 白川郷地震記事 |
安政五年二月二十六日 | 角川地震記事 |
安政五年二月二十六日 | 立山支脈鳶山崩壊絵図 |
安政五年二月二十六日 | 飛越国境付近山崩見届図 |
このページに関するお問い合わせ
教育委員会事務局 文化財課
電話:0577-35-3156 ファクス:0577-35-3172
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。