加藤光正墓

ページ番号 T1000974  更新日  令和3年12月21日

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よみ
かとうみつまさはか
市指定年月日
昭和30年11月7日
所有者
法華寺
所在地
高山市天性寺町62番地
時代
江戸時代(17世紀)
員数
1基
法量など
五輪塔 総高285センチメートル

解説

 法華寺の裏山にある。光正一周忌の寛永11年(1634)7月16日建立、天明年間(1781年から1789年)一部を修造した。
 光正(光広)は熊本藩主加藤忠広の嫡子で、清正の孫にあたる。寛永9年(1632)、忠広は参府の途中、品川で入府をさし止められ改易の沙汰が下った。肥後一国は没収、出羽庄内藩の酒井忠勝預かりの身となり、嫡子光正は飛騨に流された。改易の理由は明らかでないが、江戸で生まれた子を将軍大喪の折ひそかに国元へ送ったため、また土井利勝が謀反の偽書を諸大名に回送したとき忠広だけ届け出なかったためなどと伝えられている。
 高山藩主金森重頼に預けられた光正は、生涯月俸百口を賜り、天照寺に閉居していたが、寛永10年(1633)7月16日病死した。法華寺光正碑によれば享年19であった。
 加藤氏、木村氏などは光正の従臣で、光正の死後も当地に居住した。

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