桐生町万人講
- よみ
- きりゅうまちまんにんこう
- 市指定年月日
- 昭和30年11月7日
- 所有者
- 高山市
- 管理者
- 桐生町文化財史跡保存会
- 所在地
- 高山市桐生町1丁目293番地
- 時代
- 江戸時代(18世紀)
- 法量など
- 91平方メートル
解説
延宝3年(1675)、数万の餓死者をここに埋めたので万人坑と呼び、後万人講と書くようになった。天和元年(1681)に盲人色都が餓死者の供養塔を建てた。
笠のある大きな石塔は、水難除の祈りをこめて文化14年(1817)に法華寺日在が再建したもの、「南無三世諸仏」とある石塔は、寛政8年(1796)に小八賀郷大谷村の荒川久治が雲龍寺存妙とはかり、大原騒動刑死者の霊を慰めるために建立した。その他お六地蔵、悪女の墓、喚応是誰の墓もある。
石塔の並んでいるすぐ下手付近が江戸時代の刑場であった。
ここはまた旧越中街道の道ばたでもあったので、文政11年(1826)谷屋九兵衛が桁行7.3メートル(4間)、梁間5.5メートル(3間)の小屋を建て、その小屋に僧是誰が住んで、道行く人に茶の接待をした。
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