吉野朝時代の伝説地
- よみ
- よしのちょうじだいのでんせつち
- 市指定年月日
- 昭和31年4月26日
- 所有者
- 滝町遺跡保存会
- 所在地
- 高山市滝町下平、塔洞
- 時代
- 鎌倉時代(13世紀後半)
- 法量など
- 2箇所
解説
楠正成が少年時代学問の師と仰いだ高僧滝覚坊は、俗名朝正、和田朝盛の4男で、飛騨国滝村に生まれ、幼少のころ遍照寺で修行した。長じて京都に上り後宇多院に仕え、後河内国観心寺中院に寓居し、院の総務となった。
滝村元禄水帳の記載に和田、和田の尾、屋しき、みどのうしろ、塔洞などの地名が見える。津島神社の東北より西南にわたる地域は和田氏の居館跡といわれ、津島神社東南の小丘南下に4基の五輪塔の遺存するあたりは、和田氏累代の菩提所遍照寺の旧跡とされている。遍照寺跡より西南に約200メートル離れて塔洞があり、摺鉢観音と俗称する古陶製厨子が残されていた。
なお、明治年間山口町町上野で「嗚呼忠臣楠正成」と刻んだ碑石が彫り出され、現在同町桜ヶ岡八幡神社御旅所に奉斎されている。
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