成田正利墓

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ページ番号 T1000967  更新日  令和3年12月21日

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よみ
なりたまさとしはか
県指定年月日
昭和45年1月20日
所有者
赤保木史跡保存会
管理者
高山市
所在地
高山市赤保木町宮ヶ平
時代
江戸時代(17世紀)
員数
1基
法量など

180平方メートル

墓は高さ約1メートル

解説

 熊野神社の近傍にあり、墓石は自然石で、銘はない。そのかたわらに明治42年(1909)、高山町漆器業者および赤保木区民の建てた「成田三休之碑」があり、碑の前に船津木工株式会社寄進の花立石を置く。昭和24年の三休250年祭にあたり、高山市および船津町の春慶塗関係者と赤保木史跡保存会とが協力し、墓域の周囲に玉垣、正面に2段の石段を設けた。
 『先祖書』によれば、成田氏は保元平治の乱に源義朝に味方した成田次郎正家を始祖とする。左馬蔵政義が本能寺の変に討死し、その子義賢(晴正)は京都で塗師となり、高山に来住して金森長近に仕えた。
 三休は名を正利、通称を三右衛門といい、父義賢の後を受けて金森家のお抱え塗師となり、春慶塗の改良に貢献した。晩年家を弟に譲り、赤保木村に隠棲した。元禄5年(1692)9月20日没、享年61、法名宗栄。
 熊野神社をはじめ近在の社寺には、三休寄進の遺品が伝えられている。

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