赤田臥牛墓
- よみ
- あかだがぎゅうはか
- 県指定年月日
- 昭和31年2月24日
- 所有者
- 赤田家
- 所在地
- 高山市愛宕町3174番地 大雄寺裏墓地
- 時代
- 江戸時代(19世紀)
- 員数
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1基
16.5平方メートル
- 法量など
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墓は盛り土径91センチメートル、高さ30センチメートル
解説
東山大雄寺墓地に赤田家の墳墓がある。東西3.6メートル、南北5.5メートルの墓域内に石塔3、小墳4が配置されているが、臥牛墳は入口に最も近く、中央に位置し、右に先霊、左に嫡孫の誠軒、後ろに嫡子の章斎の墳墓がある。各墳とも同じ大きさで、環石を設け、中に盛り土がしてある。誠軒の遺骸は大正15年小糸坂からここに移された。章斎墳の右横に修墓の際建てられた標碑がある。
臥牛は名を元義、通称新助と呼んだ。臥牛はその号である。幼少より学問を志し、長じて江村北海の門に入り、最も物徂徠の学風を好んだ。代々一之町に住み造酒を業としていたが、文化2年(1805)官許を得て邸内に家塾静修館を開き、飛騨地方で始めて孔子を祭る釈奠を行なった。文政5年(1822)7月22日没、享年76、法名浄彰。
『臥牛集初編』10巻は、文政10年津野廷賢により刊行された。
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