畑佐城跡
- よみ
- はたさじょうあと
- 市指定年月日
- 平成9年5月21日
- 所有者
- 直井源治 他8人
- 管理者
- 新宮町内会
- 所在地
- 高山市新宮町狐洞
- 時代
- 中世
- 員数
- 1カ所
- 法量など
- 500×300メートル 城郭縄張及び大手、搦手
解説
畑佐城跡は、新宮町字狐洞に構えた中世の山城である。新宮神社裏手の山頂に立地し、上枝地区南半分、山田城を眺望できる見晴らしのよいところにある。地元では立壁城とも呼称する。
大手道が南西側から尾根を登り、途中山頂近くに2ヵ所の堀切、曲輪を認め、山頂の二ノ丸に至る。二ノ丸から尾根上に本丸が広がり、北側外郭に半月状の曲輪、東側には腰曲輪などがみられる。二ノ丸から南東へ下る「旧赤坂道」という道もあり、また本丸から北方山麓鬼ヶ洞へ下る道が搦手道と考えられる。搦手道途中に「首切り場」と呼ばれる平地があり、山田紀伊守一族の処刑場跡との伝承が残る。
畑佐城跡は、中世の山城の性格を充分に備えた城郭であり、遺構の遺存状態もよく、飛騨地方、高山市の中世史を考える上で重要な史跡である。また、地元新宮史跡保存会により大手、搦手道などが維持整備され、文化財めぐりウォークラリーのコースとしても市民に活用されている。
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