畑佐城跡

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ページ番号 T1000989  更新日  令和3年12月21日

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よみ
はたさじょうあと
市指定年月日
平成9年5月21日
所有者
直井源治 他8人
管理者
新宮町内会
所在地
高山市新宮町狐洞
時代
中世
員数
1カ所
法量など
500×300メートル 城郭縄張及び大手、搦手

解説

 畑佐城跡は、新宮町字狐洞に構えた中世の山城である。新宮神社裏手の山頂に立地し、上枝地区南半分、山田城を眺望できる見晴らしのよいところにある。地元では立壁城とも呼称する。
 大手道が南西側から尾根を登り、途中山頂近くに2ヵ所の堀切、曲輪を認め、山頂の二ノ丸に至る。二ノ丸から尾根上に本丸が広がり、北側外郭に半月状の曲輪、東側には腰曲輪などがみられる。二ノ丸から南東へ下る「旧赤坂道」という道もあり、また本丸から北方山麓鬼ヶ洞へ下る道が搦手道と考えられる。搦手道途中に「首切り場」と呼ばれる平地があり、山田紀伊守一族の処刑場跡との伝承が残る。
 畑佐城跡は、中世の山城の性格を充分に備えた城郭であり、遺構の遺存状態もよく、飛騨地方、高山市の中世史を考える上で重要な史跡である。また、地元新宮史跡保存会により大手、搦手道などが維持整備され、文化財めぐりウォークラリーのコースとしても市民に活用されている。

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