冬頭王塚古墳

ページ番号 T1000982  更新日  令和3年12月21日

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よみ
ふいとうおうづかこふん
市指定年月日
昭和48年11月29日
所有者
竹田智了
管理者
冬頭王塚史跡保存会 代表 竹田雅文
所在地
高山市冬頭町88番地
時代
古墳時代(5世紀)
員数
1基
法量など

1号石室は竪穴式で長さ195センチメートル、最大幅63センチメートル、深さ60センチメートル。床面は、敷き詰めた砂礫の上に13個の平石を2列に置く。
2号石室は竪穴式で長さ280センチメートル、幅68センチメートル、深さ60センチメートル。床面は、砂礫を敷き詰め、7個の大形平石を縦に並べる。

解説

 冬頭王塚古墳は、中山丘陵の北側に近く、川上川と宮川とに挟まれた(両川は約1キロメートル北方で合流する)沖積地上に所在し、東、南、西の側面を削られてはいたが、東西径約20メートル、高さ約5メートルの規模を残す2段築成の円墳であった。
 国道41号線高山バイパス路線に引っかかり、昭和45年の冬緊急調査が行なわれ、次のことが判明した。
 墳丘南東部の深い位置に、河原石を積み上げ、間隙に粘土を貼り詰めた長方形の竪穴式石室が、長軸を北西から南東に向け2つ並存していた。西側の1号石室の遺体は北を枕に、東側の2号石室の遺体は南を枕に葬られていたが、遺存した歯牙、人骨から、1号石室の被葬者は18、9歳の若年者であり、2号石室の被葬者は成人以上であることが明らかにされた。
 築造年代は5世紀と推定され、2号石室内遺体の上に副葬されていた直弧文鹿装鉄剣は、被葬者が大和政権に服属を誓い、この地方を支配した有力な首長であったことを立証する。
 郷土史家蒲正村が飛騨国造の墳墓であろうと推定したのは、卓見であったというべきである。

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