高山おどり
- よみ
- たかやまおどり
- 県指定年月日
- 昭和53年2月14日
- 所有者
- 高山民踊保存会
解説
文禄年間(1592年から1596年)、豊臣秀吉に従って肥前唐津に在陣していた金森軍から、朝鮮における勝軍の吉左右(よい知らせ)が高山に届いた。土民これを祝って城下に軍参し、歌い踊ったのが高山踊の始まりと言われている。はじめのころは吉左右踊といった。あるいは金森軍将兵の九州土産であったのかもしれない。毎年7月7日は国分寺で、同15、16日は陣屋前で踊ることが慣例であった。最近では、各町内の広場や市内の目抜き通りで踊られ、民踊流しなどで高山市の観光にも一役買っている。
赤いみだらし提灯に灯がはいれば、踊につく合図である。踊るたわけに見るたわけが広い境内をうずめ、のど自慢の澄んだ声が三味線や太鼓の伴奏でにぎやかに秋の夜空にひびき、夜ふけとともに踊の輪をひろげてゆく。
おどりの歌詞は以下のほか、多種多様なものが歌われる。
宮の八兵衛は酒好きで 酒を3杯かか換えた
酒を3杯かか換えて 酔いがさめたら悔しかろ
宮の祭の過ぎたる夜さは ござれ久々野の橋場まで
平湯峠が海ならよかろ いとし殿御と船で越す
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