芳国舎渋草陶磁器製造所 附絵図面
- よみ
- ほうこくしゃしぶくさとうじきせいぞうしょ つけたりえずめん
- 市指定年月日
- 平成11年5月21日
- 所有者
- 松山正和 他
- 所在地
- 高山市上岡本町8丁目487-1 他
- 時代
- 明治12年(1879)から
- 員数
- 1カ所
- 法量など
- 工場など建物4棟、敷地2436.55平方メートル(登窯跡を含む)
明治14年絵図面3枚
解説
天保12年(1841)より、当時の高山郡代豊田藤之進が御用商人とともに飛騨国内における陶磁器の自給自足を目的として半官半民の陶磁器製造所を開いた。
尾張瀬戸、九谷より工人を招き、地元産の陶石を探し出していわゆる「飛騨九谷」、「飛騨赤絵」を製作していたが、江戸幕府の崩壊により衰退した。
明治11年、高山の事業家の三輪源次郎らにより「渋草焼芳国社」として再建された。「渋草」は現在の陶房所在地名に由来する。画工は曽我徳丸、小野華処らであり、松山文次郎がロクロ師として活躍した。
九谷、有田、瀬戸などの手法をうけ、染付、赤絵、青磁、白磁、南京写しなど磁器を中心に製作を展開していき現在に至っている。
当製造所は明治12年以来改築、増築を繰り返しつつも、創業当時の景観や作業内容などを今にとどめており、非常に貴重な事例であるといえる。高山市内の近代産業史のうえで、重要な価値をもつ近代産業遺構のひとつとして捉えることができる。
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