日枝神社の算額
- よみ
- ひえじんじゃのさんがく
- 市指定年月日
- 昭和32年8月2日
- 所有者
- 日枝神社
- 所在地
- 高山市上一之町75番地 飛騨高山まちの博物館で展示中
- 時代
- 天明5年(1785)
- 員数
- 1面
縦74.6センチメートル、横91センチメートル
解説
江戸時代中期以降、算学の上達を祈願し又は感謝するため、あるいは競争又は名聞のために、額面に数字の難問と自己の答術とを記述して社寺に掲げることが流行した。全国で600面以上が知られており、岐阜県内では7面が確認されている。
この算額は、天明5年(1785)5月に高山の人今井孫蔵義行が奉納したもので、『今古算法記』難問150好の解答に対する訂正と思われる。
今井義行は、富山の算学者中田高寛の門人である今井儀左衛門直正と同一人ではないかといわれる。飛騨における算学の開拓者で、田中大秀の実兄休明の師であった。一之宮町水無神社所蔵の弘化2年(1845)8月奉納算額によれば、天明2年(1782)11月朔、休明はその師義行と算題術額1面を某社に奉納している。残念ながらこの天明2年の額は現存しない。
天明年間高山でも相当高い程度の数学が研究され、算額奉掛の習俗もすでに始まっていたことを示す資料である。
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