東山白山神社神輿 附土蔵、雑費簿、御輿倉庫図
- よみ
- ひがしやまはくさんじんじゃみこし つけたりどぞう、ざっぴぼ、みこしそうこず
- 市指定年月日
- 平成19年11月28日
- 所有者
- 東山白山神社
- 所在地
- 高山市若達町1丁目3番地1
- 時代
- 神輿は明治15年(1882年)、土蔵は明治17年(1884年)
- 員数
- 神輿1基、土蔵1棟、敷地1カ所、雑費簿1冊、御輿倉庫図1枚
解説
東山白山神社は、奈良時代の初期、養老3年(719)に創建されたと伝えられる。毎年5月5日の例祭に曳き出される屋台、神楽台は県指定重要有形民俗文化財である。
本神輿は、明治前期の町人が隆盛していた時期に造られた豪華な神輿で、底部に取付けられた棟札によれば、明治15年(1882)1月に新調したこと、また大正13年(1924)4月に改修された事が判る。当時の飛騨の名工らが技術の粋を結集して造った、非常に手の込んだ豪華なものである。
名工谷口与鹿は、当社の神楽台を近世末期に造るが、当神輿は板札書によると、その与鹿に工匠彫刻を学んだ甥の谷口宗之(与三郎)と松木徳兵衛により造られている。塗りは二木万治郎(清水坂とある)である。
構造は神輿の中で最も複雑な八角であり、屋蓋露盤上に鳳凰を、また蕨手に飛龍を乗せる。一木造りの欅材の欄間8カ所には、それぞれ形態の異なる鳳凰の彫刻、桧作りの下段には2段に渡り、彩色を施された牡丹が配置されるなど優美で、繊細な彫刻がみられる。また、堂柱に施された鳳凰の錺金具なども精緻な仕上げをしていて、いずれも高度の技術で製作されたものである。
附の土蔵は、明治17年(1884)に専用の神輿蔵として新築されたことが、史料「明治17年 神輿蔵新築雑費簿」から判る。神輿が出来て2年後である。その後の大正期には、道路付けかえにより、宝橋東詰めの同敷地内で移転され、その際向きを大きく変更し今日の北向きになった。また、屋根は建設当初には置屋根形式であったが、途中現在の塗籠屋根形式に変わった。いずれにせよ、重厚な仕上げの神輿同様に大変優れた造りである。
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