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山崎弘泰墓

ページ番号 T1000983  更新日  平成27年2月10日

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よみ
やまざきひろやすはか
市指定年月日
昭和56年7月13日
所有者
山崎家(鎌倉市)
所在地
高山市神明町1丁目霞ヶ岡
時代
元治元年(1864年)
員数
1基ほか

解説

弘泰は通称十郎右衛門(じゅうろうえもん)、蛍園(ほたるぞの)、西湾(せいわん)、花里翁などと号した。高山陣屋に勤め、地役人頭取に進んだ。
田中大秀(おおひで)、赤田臥牛(がぎゅう)に学び、引化4年(1847年)大秀の文台を継ぎ、多数の門弟の指導にあたり、天満森に花里文庫を設け、師の荏名(えな)文庫の蔵書を移して保管した。また同所に退筆塚(たいひつづか)を建てた。
文久2年(1862年)1月2日没、享年66歳。「蛍園集(ほたるぞのしゅう)」「高原日記(たかはらにっき)」等の遺稿がある。
墓の形態・規模は希なもので、亀の甲羅の上に棹石が乗っている。

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