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国分尼寺金堂跡

ページ番号 T1000985  更新日  平成27年2月10日

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よみ
こくぶんにじこんどうあと
市指定年月日
平成元年2月7日
所有者
辻ヶ森三社
所在地
高山市岡本町2丁目128番地
時代
奈良時代から平安時代(8世紀から)
員数
1,300平方メートル
寺院跡(1箇所)基壇、礎石、礎石跡等

解説

飛騨国分尼寺の位置については、辻ヶ森三社一帯、高山盆地の北に広がる国府盆地内の寺跡(塔ノ腰廃寺)など諸説があった。大正年間、押上森蔵が当社幣殿下に礎石を発見し、国分尼寺と推定をした。その後、数回幣殿周辺の畑・水田を発掘調査したが遺構は確認されなかった。
昭和63年5月、社殿改築を機に、高山市教育委員会が発掘調査を行ない、国分尼寺金堂跡を発見した。
国分尼寺金堂の規模は、基壇の大きさが正面幅110尺(32.78メートル)奥行66尺(19.67メートル)で、基壇上には桁行7間、梁間4間の礎石建物が建てられていた。柱間寸法が尼寺と2尺の差をもつが、桁行き法計は、桁行中央3間の14尺、両脇が各13尺、庇は各10尺、計88尺である。梁間は身舎2間が各12尺、庇は各々10尺、計44尺であった。
ちなみに、国分僧寺の創建時の金堂跡の規模は、正面桁行7間、梁間4間の建物で、梁間寸法計は88尺と同じ大きさであることが注目される。
構造で注目すべきは床面敷石で、南側正面1間分が吹きはなしで、奈良・唐招提寺金堂と同じ様式であった。そのほか、金堂身舎中央に鎮壇具埋納土壙の存在を確認、遺物は各トレンチから鬼瓦片、平瓦片などが出土した。
また、基壇の版築は、高さ120センチメートルで、たたきしめられ、非常に硬く安定していた。
国分尼寺は全国的にみて、その位置や構造など詳しいことがわかっておらず、飛騨国分尼寺のように建物構造まで明らかになったのは、大変稀有(けう)の例である。

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