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町年寄川上家別邸跡

ページ番号 T1000990  更新日  平成27年2月10日

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よみ
まちどしよりかわかみけべっていあと
市指定年月日
平成12年5月22日
所有者
高山市
所在地
高山市島川原町47・48・49番地
時代
江戸時代
員数
1箇所 2棟
法量など

敷地:1,098.38平方メートル
庭園:1箇所 池泉回遊式
稲荷社:1棟 幅1.17メートル、奥行1.476メートル、高さ3.53メートル、覆屋2.89メートル
土蔵:1棟 桁行5.4メートル、梁間3.6メートル

解説

この地は江戸時代前半は2代目城主可重の5男重勝にはじまる金森左京家の屋敷跡で、庭園は金森宗和好みの雰囲気を残しており、当時の一部が残っている可能性もある。
現存する庭は京都に多く残る宗和好みの庭との共通した景観を持ち合わせ、岩組がしっかりしており、石の選び方にも共通性がある。平地に造られた庭で、小規模ながら中島と築山を配した池泉回遊式の庭としている。
幕府直轄地になって以後は高山の町年寄川上家の別邸となり、斉右衛門(文質)はこの地に隠居した。赤田臥牛がこの地を訪ねたおりには、漢文で庭の様子を「洋く園記」に詳しく書き記している。その後土地の所有は小森氏ほかの所有となり、貸家・駐車場などに利用されてきたが、文化財の保存・活用のために平成11年1月に高山市へ寄附された。
庭内の稲荷社は谷口与鹿の兄与三郎延恭の作で、天保13年(1842年)の建築。一間社切妻造で、御拝軒唐破風がついた、総けやき造り。願主は高山町町年寄川上斉右衛門棋堂とあり、川上家の発願によることが確実であるが、屋敷神としては立派なものである。覆い屋があるため保存状態は極めて良い。覆い屋には千鳥格子が見られる。
土蔵は江戸後期の建築で、左官の名手江戸屋万蔵の作と伝わる。扉内側には色鮮やかな松に日の出と双鶴の漆喰細工が残っている。万蔵は文政8年(1825年)頃高山へ来て、法華寺下の桔梗橋近くの長屋に住んでいたという。川上家本宅の土蔵は万蔵の作で、やはりこて絵の内扉があり、郷土館にこて絵の内扉1対が残っている。

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