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松倉城跡

ページ番号 T1000964  更新日  平成27年2月10日

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よみ
まつくらじょうあと
県指定年月日
昭和31年11月14日
所有者
高山市
所在地
高山市松倉町城山2059番地
時代
室町時代(16世紀)
法量など
台帳面積7,342平方メートル、実測面積4,330平方メートル
山城 本丸跡 520平方メートル、外300平方メートル
二之丸跡 830平方メートル
三之丸跡 770平方メートル

解説

高山市街の西南、標高856.7メートルの松倉山頂に構築された山城である。高山盆地を眼下に見おろし、北は越中、南は岐阜、東は木曽、西は郡上に通ずる街道を一望のうちにおさめることが出来る。
本丸、内曲輪(くるわ)の四方と外曲輪の西側・南側に石垣が現存する。
二之丸 本丸東にあり、南側に旗立石と俗称する巨岩がある。東側・南側に石垣が残存する。
三之丸 本丸南にあり、西側・南側に石垣、西南隅に1段高く角櫓(すみやぐら)跡がある。
南中間櫓 二之丸、三之丸の中間にあり、三之丸より1段低く、東・南・西に石垣が現存する。
出丸 本丸西方1キロメートル、現在松倉観音を安置する。
北麓(ほくろく)に城下町を経営したらしく、元禄検地水帳に町屋敷の名が見え、現に古町・馬場と呼ぶ小字がある。また、山中数個所に家中屋敷と見られる大小の平地がある。
「飛騨の里」吾神(ごがみ)池にそそぐ渓流をさかのぼるのが大手道で、下の7曲道と奥の7曲道があった。搦手(からめて)は、千島町奥エチゴから登る。山下城(三木自綱(よりつな)娘婿三木三沢居城)との連絡路であった。
永禄年間(一説天正7年)三木自綱が築城し、桜洞を冬城、松倉城を夏城と称した。天正13年(1585年)金森長近・可重(ありしげ)父子が南北両面から飛騨に攻め込んだとき、自綱は田中城に籠(こも)り、二男秀綱に松倉城を守らせたが、自綱まず敗走し、ついでこの城も、家臣の返り忠に(うるう)8月6日ついに落城した。

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