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旧江戸街道

ページ番号 T1000977  更新日  平成27年2月10日

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旧江戸街道の写真

よみ
きゅうえどかいどう
市指定年月日
昭和32年8月2日
所有者
高山市(市道)
管理者
山口史跡保存会
所在地
高山市山口町森下より水呑洞
時代
江戸時代から明治時代(17世紀から19世紀)
法量など
約6キロメートル
街道(1箇所)指定区域内に高札場・橋場・差手観音・雨乞平・幕の松・接待所跡・南無阿弥陀仏石・餅売場・比丘尼(びくに)屋敷・峠観音等の旧跡がある。

解説

飛騨から野麦峠を越えて江戸へ通ずるこの街道は、江戸まで43次85里(約337キロメートル)で、山口は最初の宿場になっていた。このうち山口町森下から水呑洞までの約6キロメートルは古い街道の姿をよく残し、史跡に指定されている。
高山を出て最初の山越の美女峠は、もと益田郡と大野郡の堺で郡上堺(ぐじょうげ)といわれ、それが「びじょうげ」から美女峠と変わったと言われ、また、この峠に伝わる八百比丘尼(やおよびくに)の伝説からこう呼ばれるようになったのかもしれない。今この道は、車も通らず昔のままの静かな道で、四季の美しい眺望が楽しめる。
江戸街道は飛騨と信濃を結び、さらに鎌倉・江戸へ続く道として、国鉄高山本線が開通するまで、飛騨で最も重要な道の1つであった。また、山口町周辺には、鎌倉時代の古道があったらしく、「鎌倉街道」の地名が残っている。戦国時代、甲斐の武田氏が飛騨へ攻めに入ったときも、この道が使われた。
江戸時代は、この街道が歴史の上で、最も価値を持ったときだった。金森氏、代官、郡代、そのほか公用の役人の往来のために、道の改修がおこなわれ、宿場には伝馬が置かれた。一般の人々の旅もようやく盛んになり、善光寺参りの通り道になった。江名子の荏名神社前にある「道分灯籠みちわけどうろう)」に「左、江戸、ぜんかうじ」とあるのは、飛騨人がこの道に感じていたイメージをよく示している。物の移動も盛んだった。日本海でとれた魚は、塩漬けにして高山へ送られて来る。それから信州へ運ばれ、「飛騨ぶり」と呼ばれたのである。
明治になって飛騨は岐阜県に編入され、それまで江戸街道がもっていた「政治の中心につながる道」という性格は、ほとんどなくなってしまったが、しかし、糸挽女工が岡谷へ行くために通ったことがよく知られ、高山線開通まではやはり大切な道だった。そして今、この道の近くを通る国道361号線は整備され、高山から木曽谷へ出る道筋として再び価値が見直されている。

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