赤保木石器時代火炉

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ページ番号 T1000962  更新日  令和3年12月21日

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赤保木石器時代火炉の上に復元された竪穴式住居の写真

よみ
あかほぎせっきじだいかろ
県指定年月日
昭和31年11月14日
所有者
赤保木史跡保存会
管理者
高山市
所在地
高山市赤保木町宮ヶ平23番地
時代
縄文時代中期
法量など

500平方メートル

風土記の丘「古代集落の里」は1万300平方メートルの面積を有しているが、県史跡指定範囲は500平方メートルである。その場所には、縄文時代の復元住居が建てられている。

解説

 遺跡は、見量山山麓にひろがる標高580メートルの小扇状地に立地し、東西200メートル、南北190メートル、面積は約2万平方メートルある。昭和29年客土採掘工事中、2基の変わった炉跡が発見された。普通の石囲炉跡と異なり、舟形を呈していた。
 1号炉は、扁平な転石を舟形に立て並べて作った輪郭の内側に不規則な塊状の転石を敷きならべ、舳先にあたる部分には、ほぼ5角形に整形された上面が平らで大きな石を置き、石と石とのすき間には粘土が充墳されていた。
 2号炉は、1号炉より東南へ約12メートル離れた所から見つかった。石囲炉の一部を破壊されており、長軸は北西から南東の方向を指示している。
 付近からは縄文時代中期、弥生時代中期の土器片や各種石器類が発見されるが、炉跡の時期は縄文時代中期に比定されている。堅穴の柱穴や側壁はまったく検出されなかった。
 平成3年秋、風土記の丘史跡公園整備に先立ち史跡指定区域西南側隣接部分の発掘調査がなされ、次の遺構が発見された。

  • 縄文時代中期後半の住居址1基
  • 弥生時代中期後半から後期初頭の住居址2基
  • 土壙3基
  • 掘立建物址
  • 古墳時代6世紀の住居址1基、床面上から甑1個、甕1個、鉄片、編物石が出土した。

 遺物の中では貝田町式系の弥生土器、S字状口縁甕型土器片が目が引く。古墳時代住居址のカマドは、3枚の石を組み合わせて構築され煙道も残っていた。
 平成4年から5年度にかけ、調査の成果をもとにして復元建物を5棟建てた。縄文時代住居2棟は、史跡指定の炉の直上に推定規模で建てている。古墳時代の住居は遺構の真上に規模、方位とも忠実に建てた。弥生時代の住居と高床式倉庫は、遺構の方位と規模をそのままに南へ約20メートル程移動して建てている。

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局 文化財課
電話:0577-35-3156 ファクス:0577-35-3172
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