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赤保木古墳群

ページ番号 T1000966  更新日  平成27年2月10日

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よみ
あかほぎこふんぐん
県指定年月日
昭和45年1月20日
所有者
赤保木史跡保存会
管理者
高山市
所在地
高山市赤保木町
時代
古墳時代(5世紀)
員数
5基

解説

赤保木町は江戸時代、大野郡三枝郷(さいぐさごう)赤保木村といい、後風土記(ごふどき)によると村高148石、家数30、人数170人となる。明治8年(1875年)に清見村の大字(おおあざ)となり、明治22年(1889年)からは上枝村の大字になった。産土神(うぶすながみ)の熊野神社周辺には成田正利(なりたまさとし)の墓、国分寺の瓦窯跡(かわらかまあと)、住居跡(じゅうきょあと)など史跡が多い。
古墳群は川上川左岸の河岸段丘(かがんだんきゅう)につくられる。江戸時代の絵図には9基の古墳がみられ、「九ッ塚(ここのつづか)」と呼ばれていたが、明治末期に2基が消滅、現在は5基が残っている。大正2年、5号古墳の北東にあった6号古墳が土採りのため破壊され、その際次の遺物が発見された。
環頭太刀(かんとうたち)1、直刀(ちょくとう)4、曲玉(まがたま)10、管玉(くだたま)12、小豆玉(あづきだま)12、丸玉(まるだま)1、金環(きんかん)7、鉄鏃(てつぞく)50、出土遺物は熊野(くまの)神社と日下部家に所蔵される。
昭和24年、3号古墳の一部崩壊(ほうかい)した所から直刀1口が出土している。『高山市史』
平成4年、古墳広場の整備に伴い5号古墳の発掘調査をしたところ、竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)であることが判明した。また、北側に隣接して板状の石を組み合わせた箱式石棺(はこしきせっかん)も発見され、いずれも時期は5世紀と推定される。高山市で最も古い古墳は冬頭王塚(ふいとうおうづか)古墳(5世紀中頃)とされているが、この5号墳との時期比較が課題となる重要な発見となった。

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