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山岡鉄舟父母の墓

ページ番号 T1000971  更新日  平成27年2月10日

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よみ
やまおかてっしゅうふぼのはか
市指定年月日
昭和30年8月25日
所有者
宗猷寺
所在地
高山市宗猷寺町218番地
時代
江戸時代(19世紀)
員数
2基ほか
法量など

父墓 棹石 高さ110.3センチメートル、厚さ43.6センチメートル、幅43.5センチメートル
台石3重 高さ91.8センチメートル
母墓 棹石 高さ100センチメートル、厚さ30.3センチメートル、幅36.6センチメートル
台石3重 高さ77.3センチメートル

解説

東山宗猷寺本堂前に2基並んでいる。父の墓は棹(さお)石正面に「徳照院殿雄道堅達大居士」とあり、周囲に石柵(さく)をめぐらし、柵前に元締斎藤弘道・進野保寿・岩田幸通奉納の石燈籠一対がある。母の墓は棹石正面に「喬松院雪操貞顕大姉」とあり、周囲に石柵をめぐらし、柵前に小野高堅・塚原直昌・加藤師父造立の石燈籠一対、燈籠前に喬松院菩提のために設けた六道石がある。
鉄舟の父小野高福(たかよし)は通称朝右衛門といい、幕府旗本の士で禄六百石を受けた。弘化2年(1845年)江戸御蔵奉行から飛騨郡代に転じた。外国船渡来の形勢にかんがみ、城山で狼煙(のろし)の実演をしたり、上野で陣立を行なったりした。嘉永5年(1852年)2月28日高山で没、享年78。
鉄舟の母磯(いそ)女は鹿島神宮の神官塚原石見の娘で、天保6年(1835年)朝右衛門に嫁し、六男を生んだ。嘉永4年(1851年)9月25日高山で没、享年41。
碑面の法号は、2基とも鉄舟の筆跡である。

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