荏野文庫 附書函
- よみ
- えなぶんこ つけたりしょばこ
- 県指定年月日
- 昭和57年5月14日
- 所有者
- 高山市
- 所在地
- 高山市上一之町75番地 飛騨高山まちの博物館
- 時代
- 江戸時代(18世紀から19世紀)
- 員数
- 519部1516冊、7函
- 法量など
-
文庫には大秀の著述本、手択本及び古今珍籍名著が収められる
稿本類84部144冊、書入本132部685冊、筆写本20部21冊、所蔵本199部538冊、附り84巻128冊
書函
第1函より第6函は横幅44から43.4センチメートル、高さ41から41.5センチメートル、奥行30.5から31.7センチメートル第7函は横幅22.4センチメートル、高さ41.7センチメートル、奥行30.7センチメートル
解説
高山で生まれた国学者、歌人の田中大秀(1777-1847)の著述本並びに手択本で、もとは江名子町の荏名神社境内の荏野文庫土蔵内にあった。大秀の没後荏野文庫の蔵書は、文台継承者山崎弘泰の花里文庫に移されたが、弘泰の息子弓雄、弓束が没して後は文庫の維持管理ができなくなり、ついに上木氏の所蔵になった。
二木豊子氏から寄贈された「書籍改記録」により大秀晩年の蔵書内容の大概を知ることができる。これは嘉永2年荏野文庫を花里文庫に移すについての改めで、これを基に草稿類を加えると555部1828冊になる。これは、大秀晩年の荏野文庫の実態にかなり近い数と考えられるが、改め以後散逸したものがある。
大正元年、吉島休兵衛、日下部九兵衛、土川宗兵衛、平瀬市兵衛諸氏の援助により、当時の高山町教育会が上木捨三から文庫を一括購入した。この購入分と、先に明治43年山崎弓束から高山町図書館へ寄贈されていた遺著、その後の増加分を合わせて総計519部1516冊を数える。
この中には、大秀の名声を高めた名著『竹取翁物語解』、『落凹物語読解』、『荏野冊子』、『養老美泉辯註』などがある。
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