荏野文庫 附書函

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号 T1000905  更新日  令和3年12月20日

印刷 大きな文字で印刷

よみ
えなぶんこ つけたりしょばこ
県指定年月日
昭和57年5月14日
所有者
高山市
所在地
高山市上一之町75番地 飛騨高山まちの博物館
時代
江戸時代(18世紀から19世紀)
員数
519部1516冊、7函
法量など

文庫には大秀の著述本、手択本及び古今珍籍名著が収められる

稿本類84部144冊、書入本132部685冊、筆写本20部21冊、所蔵本199部538冊、附り84巻128冊
書函
第1函より第6函は横幅44から43.4センチメートル、高さ41から41.5センチメートル、奥行30.5から31.7センチメートル

第7函は横幅22.4センチメートル、高さ41.7センチメートル、奥行30.7センチメートル

解説

 高山で生まれた国学者、歌人の田中大秀(1777-1847)の著述本並びに手択本で、もとは江名子町の荏名神社境内の荏野文庫土蔵内にあった。大秀の没後荏野文庫の蔵書は、文台継承者山崎弘泰の花里文庫に移されたが、弘泰の息子弓雄、弓束が没して後は文庫の維持管理ができなくなり、ついに上木氏の所蔵になった。
 二木豊子氏から寄贈された「書籍改記録」により大秀晩年の蔵書内容の大概を知ることができる。これは嘉永2年荏野文庫を花里文庫に移すについての改めで、これを基に草稿類を加えると555部1828冊になる。これは、大秀晩年の荏野文庫の実態にかなり近い数と考えられるが、改め以後散逸したものがある。
 大正元年、吉島休兵衛、日下部九兵衛、土川宗兵衛、平瀬市兵衛諸氏の援助により、当時の高山町教育会が上木捨三から文庫を一括購入した。この購入分と、先に明治43年山崎弓束から高山町図書館へ寄贈されていた遺著、その後の増加分を合わせて総計519部1516冊を数える。
 この中には、大秀の名声を高めた名著『竹取翁物語解』、『落凹物語読解』、『荏野冊子』、『養老美泉辯註』などがある。

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局 文化財課
電話:0577-35-3156 ファクス:0577-35-3172
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。