「金森長近」~生誕500年~ ゆかりの地を紹介します

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ページ番号 T1020397  更新日  令和6年5月31日

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長近ゆかりの地を訪れる

金森長近ゆかりの地

市内に点在する、金森氏に関連する場所を巡ってみましょう。

 

鍋山城跡 ~長近、飛騨における最初の居城跡

鍋山城跡写真

高山市漆垣内町と松之木町にまたがる鍋山に築かれた城です。16世紀に鍋山豊後守安室が築城したとされ、その後三木氏の勢力下に入ります。天正13年(1585)の飛騨侵攻後、金森長近が飛騨国の大名になると、当初鍋山城を居城としましたが、城下町建設に不向きとして高山城を建築し、鍋山城は廃城となりました。

鍋山城は三つの山に構築され、大鍋山に本丸、小鍋山に二之丸、下鍋山に出丸がありました。漆垣内町にある四天王神社のわきから東洞を上る道を大手道、五名より登る道が搦手道です。


【アクセス】

  • JR高山駅から車で「四天王神社」まで約15分
  • JR高山駅から、のらマイカー東線右回りで「大八グラウンド前」または「白川製作所前」下車、徒歩10分「四天王神社」わきより入山

広瀬城跡 ~三木自綱との攻城戦が繰り広げられた城

広瀬城跡写真

天文年間(1532~1555)に広瀬氏によって建築されたといわれています。天正11年(1583)に三木自綱による侵攻以後、三木氏の居城となりました。同13年(1585)に金森長近による飛騨侵攻時に自綱が城に立てこもりましたが、攻め落とされ、自綱は京都へ逃げることになりました。

国府町名張と瓜巣にまたがる、標高620メートルの山城です。延享2年(1745)に飛騨代官長谷川忠嵩が著した「飛州志」に、広瀬城跡を描いた城図がありますが、地形を利用して築かれた本丸、二之丸、三之丸を配する大規模な城であったことがわかります。岐阜県文化財保護センター飛騨国府事務所近くが登城口になっています。


【アクセス】

  • JR高山駅から車で「岐阜県文化財保護センター飛騨国府事務所」まで約20分
  • JR高山駅から濃飛バス古川・神岡線「ラクール前」下車、徒歩約20分

高山別院照蓮寺 ~高山の町づくりの要となった寺院

高山別院照蓮寺写真

真宗大谷派の寺院。創立したのは親鸞の弟子嘉念坊善俊で、当初は白川郷鳩谷(現白川村)に道場を建て、その後、同地区の飯島に移り、正蓮寺という名前としました。内ケ島為氏による討ち入りで焼失後、永正元年(1504)に同地区の中野で本堂を再建し、照蓮寺と改称しました。金森長近による飛騨侵攻後、天正16年(1588)に長近は十三世明了へ現在の場所に寺地を与え、寺を建てました。

照蓮寺は明治9年(1876)に「高山別院」と改称されています。地域の人々からは「ごぼうさま」と呼ばれ親しまれ、毎月定例法要が行われています。寺内には「寺宝館」が設けられており、金森長近ゆかりの甲冑なども展示されています。


【アクセス】

  • JR高山駅から徒歩約20分
  • JR高山駅から、のらマイカー東線左回り「別院前」下車、または匠バス東西線「別院前」下車

素玄寺 ~長近の菩提寺

素玄寺写真

金森長近の菩提寺で、二代目の可重が慶長14年(1609)に建てた曹洞宗の寺院です。長近の法名「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」から「素玄」をとり、寺の名前としました。長近の肖像画のほか、軍扇や采配、鶴毛陣羽織、鎧通銘「吉久」(全て市指定文化財)などの遺品を所蔵しています。

素玄寺は東山寺院群の一角、天性寺町にあります。市指定文化財となっている本堂は安土桃山時代の建築で、寛永12年(1635)に高山城三之丸にあった評議場が移築されたと伝わっています。


【アクセス】

  • JR高山駅から徒歩約20分
  • JR高山駅から、のらマイカー東線左回り「素玄寺前」下車、または匠バス東西線「素玄寺前」下車

金龍神社 ~長近を祀った神社

金龍神社写真

飛騨東照宮を、第18代飛騨郡代の芝正盛が文政元年(1818)に再建したのに合わせ、神祇官から長近の法名にちなんだ「金龍大権現」の神号を得て建築しました。金森長近を祀る唯一の神社です。

金龍神社は飛騨東照宮の末社として境内に建てられています。高山市街からは少し離れていますが、閑静な住宅街の中にたたずむ趣のある神社です。もとは境内西北の場所に小祠を建てたものでしたが、長近の功績が再認識され始めた昭和17年(1942)、遺徳をしのんで現在の位置に移転遷座しました。


【アクセス】

  • JR高山駅から徒歩約18分、車で約5分
  • JR高山駅から匠バス飛騨の里線「飛騨東照宮下」下車

位山街道 ~飛騨と奈良を結ぶ往古の街道

位山街道写真

古代から整備された奈良への道で、一之宮町から現在の上呂あたりまでの約28キロメートルを位山街道といいます。税を納める代わりに都で建築などをした飛騨匠がこの道を通りました。飛騨国主になった長近は、位山街道に代わる新たな街道として益田川両岸の街道を整備し、現在の国道41号線の原型をつくりました。

位山街道は東山道飛騨支路として整備された官道です。東山道は滋賀から東へと進んでいきますが、美濃から別れ、関、下呂を通り高山に通じる道を飛騨支路といいます。位山街道はこのうち現在の下呂市と高山市をつなぐ区間で、高山側からは高山市一之宮町から入ります。所々に石畳の道が残り、歴史を感じさせる古道です。飛騨匠が通ったことから「匠街道」とも呼ばれます。


【アクセス】

  • JR飛騨一之宮から徒歩約50分、車で約6分、県道98号線「飛騨位山・匠の道サクラ街道」を位山方面へ

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飛騨高山まちの博物館
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