「松倉城跡」が国史跡に指定されました。

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ページ番号 T1021429  更新日  令和7年3月13日

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松倉城跡本丸石垣南西隅部分の写真
松倉城跡本丸石垣

 令和7年3月10日付けの官報掲載をもって、「松倉城跡」が国指定の史跡となりました。市内の国指定史跡としては、「飛騨国分寺塔跡」、「高山陣屋跡」、「赤保木瓦窯跡」、「堂之上遺跡」に続き5件目になります。
 松倉城跡は、16世紀後半に高山盆地へ進出した飛騨地方南部の領主三木氏の拠点で、標高856.7メートルの松倉山山頂に築かれた山城跡です。尾根上に堀切や曲輪を設け、山頂には石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸があります。
 本丸と、その南西に伸びる三ノ丸には5~8メートルの高さで、中には長さ2メートルを超える大きな石を使い、隅角部に算木積みを志向する高石垣が築かれています。一方、本丸の東にある二ノ丸では、北側と南側に小型の石材を用いた低い石垣が、東側には大部分を中小石材で築いた2段の石垣が見られます。粗い石積みや竪堀、堀切などを用いて北側と東側を意識した遺構と、高石垣を築き西側と南側を防御しようとする2系統の城郭構造から、土造りの城から石垣を持つ城への2段階で築城されたことが想定されます。三木氏による当初の築城と、その後の改修によるものと考えられます。
 また、三ノ丸の埋門(うずみもん)や出枡形虎口が、崩された石垣の石材などによって埋められており、石垣が大きく崩されている本丸の北側と同様に、破城(城を使用できないように石垣や門といった防御施設などを破壊すること)が行われた痕跡があります。
 戦国時代の飛騨地方の政治状況や、土造りの城から石垣を持つ城、そして破城という城郭の歴史を知る上できわめて重要な遺跡として評価されました。今後は保存と活用にむけた取り組みを行います。

三ノ丸隅櫓下石垣の写真。
三ノ丸石垣
三ノ丸うずみ門の写真
三ノ丸埋門(うずみもん)
崩された石垣で埋められた出枡形虎口への通路の写真。
破城によりふさがれた出枡形虎口への通路
本丸から望む雲海と飛騨山脈の写真。
本丸から望む雲海と飛騨山脈

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電話:0577-35-3156 ファクス:0577-35-3172
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