高山市下二之町大新町伝統的建造物群保存地区
- よみ
- たかやまししもにのまちおおじんまちでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
- 市指定年月日
- 平成16年2月16日
- 国指定年月日
- 平成16年7月6日
- 区域
- 下一之町、下二之町、下三之町、八幡町、大新町1丁目、大新町2丁目、大新町3丁目、大新町4丁目の各一部
- 時代
- 江戸時代から
- 地積
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約6.6ヘクタール
南北約780メートル、東西約180メートル
- 町並保存会
- 鳩峯車組町並保存会、神馬台組町並保存会、船鉾台組町並保存会、豊明台組町並保存会、浦島台組町並保存会、大新町1丁目3班町並保存会、越中街道町並保存会
- 経緯など
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昭和53年 豊明台組区域が高山市景観保存条例に基づく市街地景観保存地区に指定される。
平成12年 鳩峯車組で町並保存会結成。
平成13年 神馬台組、船鉾台組がそれぞれ町並保存会を結成。
平成13年から15年にかけて独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所に委託し伝統的建造物群保存対策調査を実施。
平成15年 越中街道町並保存会、浦島台組町並保存会、大新町1丁目3班町並保存会結成。
平成16年 高山市下二之町大新町伝統的建造物群保存地区指定。地区内伝統的建造物特定件数220件(主屋95棟、土蔵105棟、工作物12件として秋葉社6件・灯篭4件・石垣1件・地蔵堂1件、環境物件8件として樹木4件・庭園2件・用水溝2件)
解説
高山は古くから飛騨の政治、経済の中心として栄えた地である。天正14年(1586)に金森長近は飛騨国を拝領し、城下町形成を始めた。城下町は当初、宮川と江名子川に挟まれた東西約500メートル、南北約600メートルの範囲に置かれ、東側の高台を武家屋敷、西側の低地に三筋の通りを設けて町人町とした。
金森家が出羽国に転封された元禄以降、飛騨は幕府直轄領となるが、高山の町は旦那衆と呼ばれる商人を中心に発展し、町域も人口の増加を背景に拡大した。下二之町はこうした町域の北側中心部に位置し、谷平(日下部家)、桐山家などの大旦那が軒を並べる地域であった。
高山から北へ越中国(現在の富山県)に向かう街道は金森長近により飛騨から各方面に通じる主要街道として整備されたものの1つで、「越中街道」と呼ばれている。江戸時代後半から民家が建ち並ぶようになり、明治期までには町域を形成した。大新町には、かつて職人や半農半商的な職域の者が多く住み、一般的な商家の町並みとは異なった歴史と性格を持っている。
旧高山城下町は、安川通りを挟んで南半分が日枝神社、北半分が桜山八幡宮の氏子区域とされ、北半分の地域を特に「下町(しもちょう)」とも呼ぶ。桜山八幡宮は秋の高山祭の主舞台となる場所で、祭には11基の豪華な祭屋台が曳きだされる。
町並みは、明治以降度々大火に見舞われたが、その都度ほぼそのままの形で復元された。戦争による空襲の被害を受けず、また、主要な道路が宮川の対岸に設けられたため都市開発の影響もさほど受けなかったことから、往時の姿をよくとどめている。また、町の人々は高山祭の屋台を護持する屋台組を中心に、強い結びつきを保ち、現在でも屋台組が町のコミュニティーの中心であり続けている。
地区の特徴としては旧城下町時代の地割をよく残し、高山市内では三町伝建地区と並んで伝統的建造物が多く建ち並んでいる。地区のほぼ中央には、国指定重要文化財の日下部家住宅と吉島家住宅が並んで建つ。地区内には、明治から戦後にかけての各時期に特有な形式で建てられた町家が混在して通りの両側に並び、それらが町並みに変化を与えている。
道路の両側には享保8年(1723)に三町用水として創設された歴史を持つ用水が通り、また地区の中央には城下町の内郭と外郭を分けていた江名子川が流れ、うるおいと風情ある佇まいを見せている。大新町1丁目には城下町を防備するためわざと屈曲させた道路が残り、城下町であった頃の姿を今に伝えている。地区内の道路に面した空き地や、江名子川の河畔には秋葉社、灯篭などが点在し、町家の連続する景観とは異なった情趣ある景観を醸し出している。現在は高山の都市部にありながら、三町地区に比べ店舗となっている建物が少なく、住民生活に密着した生活感のある町並みが残る。
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