津野滄洲墓

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号 T1000972  更新日  令和3年12月21日

印刷 大きな文字で印刷

よみ
つのそうしゅうはか
市指定年月日
昭和30年8月25日
所有者
雲龍寺
所在地
高山市若達町1丁目89番地 雲龍寺裏の墓地
時代
江戸時代(18世紀)
員数
1基
法量など

棹石は高さ70センチメートル、幅33.8センチメートル、台石は2重で高さ61センチメートル

解説

 雲龍寺の墓地内にあり、棹石の正面に「故処士滄洲之墓」と刻んである。
 滄洲は名を義見、通称五右衛門、金花主人、蒲公英主などと号した。詩文、和歌、俳諧、奇石などを好み、山水を愛し、交友天下にあまねく、この人の勧めで学問を志す者が多かった。また蚕糸業の発展に尽力し、大いに国産の増益を図ったので、幕府はその功を賞して苗字帯刀を許した。寛政2年(1790)7月23日没、享年73、法号勇見了義。
 『金花三愛集』、『飛州燕石録』、『橋梁図纂』、『俳歌廻文詠』、『産物狂歌詠』などの著作がある。

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局 文化財課
電話:0577-35-3156 ファクス:0577-35-3172
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。