国分寺三重塔
- よみ
- こくぶんじさんじゅうのとう
- 県指定年月日
- 昭和49年11年13日
- 所有者
- 国分寺
- 所在地
- 高山市総和町1丁目83番地
- 時代
- 文政4年(1821)
- 員数
- 1棟
- 法量など
-
三重塔は桁行、梁間共に4.24メートル、高さは礎石上端より宝珠上端まで22メートル、屋根銅平板葺
日本遺産構成文化財
解説
天平13年(741)の詔勅により建立された塔婆が、引仁10年(819)に炎上し、斎衡年中(854年から857年)に再建した。応永年間(1394年から1428年)、さらに兵火にかかったと伝えられる。その後再建されたが、戦国時代、金森が松倉城の三木を攻めた際に損傷し、元和元年(1615)になって金森可重が三重塔を再建したと三福寺小池家文書「国分寺大平釘図」に記録されている。
現在の塔は、寛政3年(1791)に大風で吹き倒されてから31年後、庶民の喜捨浄財金800両と大工手間5500人工をかけて、文政4年(1821)ようやく竣工を見たものである。棟梁は3代目水間相模であった。昭和53年には屋根の修理と自火報設備、保護柵を設置した。屋根は、建立当初柿葺であったが、大正11年に桟瓦銅板葺に変更され、昭和53年には銅平板葺となった。
飛騨では唯一の塔建築で、金剛界、胎蔵界の大日如来を安置する。
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